20170430 12:50
新月の浄化作用と、もろもろのおかげさまあいまって、子どもの頃の想いというのが、ちょろちょろと浮上していた。ひさしぶりにねちっこいやつ出てきたゾ(笑)。
この、子どものときに自分がどう思っていたかということを語る、というのは、いま子育て真っ最中の人たちにとったらプレッシャーになってもヤだしな、とかいろいろ思ったりしてなかなか出力できてきてないことのひとつなのだけれども、一方で言葉をあまり持たない子どもの心のうち、というのが可視化されるということはあんまりなくて、だからこそ、そういうものがちょっとはあってもいいんじゃないかな。だってみんなもともとは子どもだったんだし。とも思ったりもするので、せっかく浮上してきた想い、こちらにそっと置いてみます。
◎クスリを飲むのが本当に嫌だった。とくに抗生剤。
言いたいことが言えなくて、ハートが萎縮して、気管支炎になったり、感覚を鈍らせなくちゃいけなくて鼻炎になったりしているのに、それをさらにクスリで抑えつけられる、というのは、本当に嫌だったなぁ。精一杯の助けてのサインは、あえなくスルー。
◎知らないふり、をするのがしんどかった。
いろいろなこと、気づいているし知っていたのに、気づいてないふり知らないふり、それをしなくちゃいけないのが、しんどかったなぁ。分かってない存在としていなければいけない、無邪気さを装うことの苦痛(笑)。
まだ言葉もしゃべり出すまえの1歳前後の時に、保育園で年上の園児たちが「かえるのうた」を歌っていて、「あ、この歌知ってる!歌いたい!」と思ったけど、「いや、でもいま歌ったら先生をびっくりさせちゃうな」と思って歌わなかった、という逸話を持っている友人がいて、これはまた極端な話だけれども(笑)、そのレベルで、いろいろ分かっている子どもたちは、本当に多いと思う。
ちなみに、こういう想い、というのは親に対する想いのようで、じつはそうではない。
彼ら彼女らは、そのときそのときで精一杯の対応をしているので、それはそれで「いい」「わるい」といえるようなことではない。
それよりも「自分が自分自身をどう扱うか」というテーマが親との関係性のなかで出てきているにすぎなくて、たぶんわたしにとっては「(恐れずに)本心を語る、自分を表現する」ということがテーマであるからこそ、こういう関係性やパターンを選んで生まれてきたのだろうなぁ、と思ったりしている。
それにしても、子どものころにされて嫌だったこと、というのは、気づいていないものも含めてたぶんわんさかある。
あーやだったやだった。
そのときに感じきることのできなかった「嫌だった気持ち」というのを、「そうかそうか、いろいろ嫌だったんだね~~~」と大人になった私は聴いてやることができるので、浮上してきたものに関しては耳を傾けて成仏させたいものだなぁ、と思います、
(写真くらいはせめて爽やかなのを、笑)
Hateruma Island, FEB 2017