20170404
【生きるということは傾向と対策ではない】
ヨガ通してなにを一番に学んだかといえば、表題のこれに尽きるかな、と思う。
けっきょく、学校教育というものを通じて身につけさせられたものも、この「傾向と対策」的思考なのだと思うのだけれども、「傾向と対策」というものをいったん手放してみようとして初めてどれだけ自分が「傾向と対策」的思考にどっぷりハマっていたかに気づかされた。
人間というものが、真に自立した存在であろうとするとき、つまり、自分自身の真我/魂/根源(愛)とともに現実を生きようとしたとき、そこでは「傾向と対策」はむしろ邪魔になる。
「傾向と対策」とは、エゴで現実をコントロールしようとすることであり、また「傾向と対策」を立てつづけることは、「生きるとはサイバイバルである」ということを無意識的に自分自身に日々刷り込んでいるということにもなる。
でも、生きるとは、本当はサバイバルではない。
ほんとうは、この世界でサバイブする必要など、ひとつもないのだ。
必要なものが必要なときに必要なだけ与えられる。
まちがえるときはまちがえる。
できないときはできない。
苦しいときは苦しい。
死ぬときは死ぬ。
ただそれだけ。
これ、口で言うだけなら簡単なのだけど、それをほんとに身をもって示してくれたのが、ヨガのお師匠、自称・普通のおじさん、飯田不久先生。人間としてこの地上で生きるうえで大切なことを、たくさん教わりました。
こんなにも「傾向と対策」から遠く生きている人は、私のまわりにいまだかつていない(笑)
自分の人生をうまくやろうとか操作しようという気が、かぎりなくすくない。
だからけっこうドジもするけど(笑)、なんのその。
それはそれと、ぜんぜんへこたれないのだ。
普通のおじさんを自称してるけど、済んだことを気にしないっぷりにかんしては、普通ではないとおもう(笑)
そんなにも「イマココワタシ」、でいいものなんだ?!!と目からウロコ。
そんなにも「イマココワタシ」、でいいものなんだ?!!と目からウロコ。
そして「場づくり」だとか「ファシリテーション」なんてことを、あれやこれや考えず「場」をつくっている。Space”Be”ですごした時間は、ほんとはそんなの必要ないんだよねって思えた貴重な経験。
こないだも「子どもを持つまえに、子どもが自分より先に死ぬ覚悟をした。」という話をヨガのときにしてくれたのだけど、こんなこという親、ほかで聞いたことない。
「占い」というのも、ある意味、「傾向と対策」の産物で、だからこそ「生きるとは傾向と対策ではない」ということを、「占い」を求めてきた人たちに伝えられたらそれが一番いいな、と思っていたりする。「星を読む」とは人生をあれやこれや操作するための「傾向と対策」が目的なのではなく、宇宙と一体にある自分自身を感じるためのもの、
なんだか話があっちゃこっちゃ飛んでしまったけど、そんな不久先生のヨガは、あきる野と旭川と多治見と新城と京都(伏見)などで、定期的に開催してます。
こないだも「パタンジャリなんか、知らん!」という話(おおざっぱにいうと)になって「ダ・ヨ・ネ!!」と激しく共感。
なんで、みんなオーセンティックな教典を求めたがるのだ。
ヨガをやる人で「パタンジャリなんか、知らん。八支則なんか知らん。」という人がいることはとっても大事なことだと思う。
こちらに不久先生の巡業日程のってます。
興味のある方は、のぞいてみてね。
https://www.facebook.com/Space-Be-376621328312/?fref=ts