☆ blogをこちらに統合しました(2017.05.24)http://hello-umic.blogspot.jp

2017年2月20日月曜日

こちらに、春分の記事をアップしました☆彡

【今年の春分はウサイン・ボルト】
http://hello-umic.blogspot.jp/2017/02/blog-post_20.html


よかったら、読んでね。


2017年2月18日土曜日



与那国紀行2017


20日間、波照間にいたあと、旅の終わりに与那国に行っていた。

石垣で数日すごそうかと思っていたところに、ふいに友人が勧めてくれて「ユミックを与那国に繋ぐために私は与那国行ったのかも」とまで言うので、急きょ航空券を予約したのだった。

私はこういうときの行動だけはめちゃめちゃ早い。身体からも魂からも、なんのひっかかりもなくゴーサインが出ているときには、アタマであれやこれや考える余地はもはやなく、石垣で泊まる予定だった宿もキャンセルし、あらたに与那国の宿を予約して・・・と手とカラダが勝手にサクサク動きだすのだった(そういう意味では私のカラダというのはめちゃめちゃわかりやすい・・・)。

さて翌日、さっそく朝一の便で石垣から与那国に向かった。

結果、ほんとうによすぎて、ほとんど写真をとるのもわすれてウットリとすごしていた・・・

最果てにとくに興味はないので(なぜなら地球は丸いのだから)、果てだからとかなんだからとかではなく、いままでに行ったどこともちがう不思議な空気感。

島なのに、大陸の風が吹いている。

それは物理的に大陸に近い、とかそういうことではなくて、どちらかというと内モンゴルとかそのくらいの、もしくはマチュピチュを思わせる高山地帯の都市ような。

天空の城。

なんとなく、今の時点ではこの表現がしっくりきている。

波照間の珊瑚にたくさんたくさん洗われて、空っぽになったところに天空の風が身体のすみずみにまで行き渡っていった。そんな感じ。

身体のすみずみまでこの空気を吸い込んで、天空の風を今もここに運んでいる。



「天空を運ぶ。天空を纏う。天空へ繋ぐ。
 それがアナタのしごと、命の使い道 」



天空の風に乗って、そんなメッセージもひらり舞い降りてきました、ヨ。

南の島々に、ありがとう。
ひとまず、ただいま。







2017年2月13日月曜日

下の気づきに先立って、こんな気持ちも出てきていました、memo。

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20170212 9:15

「アナタのようでなくてごめんなさい」

という気持ちがでてきた。
人のようであること、人のように振る舞うこと、人のように考えることができること

うーん、「人」ってだれやねんって思ったら、結局これは、母への思いなのかもしれない、とおもった。

貴女のようでなくてごめんなさい、貴女のようにできなくてごめんなさい、貴女のようでありたかった・・・

私が私であることによって、他者をつねに否定しつづけているような感覚。
母にとって私は、たぶんあまりにも自由であまりにも突拍子ない。
つねに彼女の意識のブロックを、刺激し続けてしまっていることへの罪悪感。

うーん、まだあったかぁ。

南無南無。

ちーん・・・。





2017年2月12日日曜日

【私は幸せだった!の巻】

私の誕生の瞬間は、たぶん絶望から始まっていた
肉体を持つこと、分離を生きることへの

なるべくこの世界に期待しないよう、なるべくこの世界でガッカリしないように心を閉ざして、固く感覚を閉ざして生まれてきた

多少のガッカリに、もう傷つきたくないという想い
救えなかった、間に合わなかった、

結果、目の前で迎えた崩壊的な終焉

そのトラウマ

まぁよくある話で、真偽についてはどうでもよく、また全ては最良必然であったとしても、魂に刻まれたその深い深い、ガッカリ感、無念。

それが、あらゆる幸せを受け取ることを拒否している大元の根幹にある、ということが急に腑に落ちた。

つねに、うっすらとは感じつづけていた感覚なのだけども、いま急に雪崩のように過去への感覚が書き換わり、ものすごく深く理解した。

父も母も、私が生まれたときに、小躍りするように喜んでいたこと。
無条件に可愛がり、日々祝福されていたこと。

肉体を持つこと、分離を生きることへのあまりの抵抗感、そして過去への無念から、それらをまったく受け取らず遮断していたことに、いきなり気づいた。

命として、ただただ祝福されている瞬間があったという事実が急に私の現実にストンと落ちてきたのであった。いままでどうがんばっても「採用!」とならなかったシナリオにいきなり採用ハンコが押された感じ。

ああ、もうこれで充分じゃないか。たとえ瞬間のことであったとしても、”人を通じて”(ここ大事)それだけの祝福を一身に受けていたことがあったなんて!もう、それで充分。
子どもを持った友だちがたまにそういうことを言っているけれど、こういうことなのだねぇ。

とにかく生まれる、ということへの私自身の拒否感抵抗感とネガティヴイメージがハンパなく、結局それによって現実は創造されていっていたのである。

ひゃ〜〜びっくりびっくり。

分かってみれば、そのまんまなオハナシで、いやぁ、この自作自演劇&今更ですか?なこの気づき、ほんとによく出来てていやになるーー( ̄(工) ̄)



2017年2月11日土曜日

20170210 11:30

まえにショーニャにもらったインドの綿の白のワンピース、すごく着やすくてラクでシンプルで重宝していたのだけれども、いかんせん生地がもうヘタヘタ。
丈とか着心地とか、ポケットがあるとか、すごく優秀なんだけどなぁ・・・
なごりおしいけど、つぎなる素敵な子が現われることを願う。なむ。






2017年2月10日金曜日

【わたしと中国:上海”我金無”事件(笑)】

そんなこんな?で、いろいろと思い返してみると、人生とはかくもネタばかりなのであった。

大学時代の専攻がインド・イスラーム文化だったのもあって、当時は長期休暇といえばインドによく出かけていた。まぁたいがいが珍道中なのだけども(笑)いま思い出してもいちばん笑えるのは、インドからの帰り、上海で乗り換えだったので空港までのバス代とごはん代くらいしかもたずに上海の街で夜を明かしたときのこと。

朝一のバスで空港に行けば間に合うはずだったのだけれども、待てど暮らせどバスなど来やしない。
空港行きのモノレールはまだ動いていなかったし、バス代くらいしか現金をもっていなかったので、タクシーに乗るわけにもいかず・・・

うひゃ~これで飛行機とか逃したらやばい~!とドキドキヒヤヒヤ。
そして街では思いのほか英語が通じなかったのがさらなる誤算。

必至なときって人間なんでもやるなと思うのだけど(笑)、そんなピンチにきっといろんな日本人が試みたであろう「デタラメ漢字大作戦」を決行いたしました。乏しい漢文の知識を総動員して「飛行場に行きたいのだけどお金がありません。日本に帰ったら送るのでかしてください」と(いうつもりで)書いてみた。

もう、「我金無」って書いたときの情けないやら笑えるやら(笑)、このあやしいえせ中国語で書いた紙を、道ゆく優しそうな人をつかまえては見せるのだけども、完全にあやしい日本人で誰も相手になんかしてくれません(そりゃそうだ笑)。それで街の人に声をかけるのはあきらめて、タクシーに直接交渉に乗り出したんだけど、お金もないのにのせてくれる人なんかやはりおらず。

もう何台も断られ、いや~いよいよ困ったな、と思いながらこれで最後だっと思ってつかまえたタクシーの運転手さんが、なんと「いいよ」と言って乗せてくれたのであった!神!!!

そして空港に向かう途中、どっかに日本円でも現金なかったかなぁ~~~~とカバンをゴソゴソしていたら・・・な~~~~んと、五千円札発見!!!!
よかった~~~これで、ただ乗りしないですむ~~~~(冷汗)とホッと一息。
そして「あった、あったよ!!!!」と運ちゃんに興奮して伝えるも、そもそもあまり事情が分かってないので残念ながら興奮伝わらず(笑)。無事空港ついて、両替して、タクシー代を運ちゃんに渡し、めでたく帰国できたのであった。比喩でもなんでもなく、あのときの彼はまぎれもなく神であった。


いまでもたまにこの「我金無」ってフレーズをあのときの必至さとあわせて思い出しては、我ながらぷっとふきだしてしまう。まったく自慢になるような話ではないですけれど(笑)、人生でなんだか暗い気持ちになったときにはこの時のことを思い出すとだいぶ笑えるので、過去の自分とタクシーの神に感謝。


2017年2月9日木曜日

追記:

ちなみに、星野源さんがなにかのインタビューで「自分は本来ネアカ(ネクラの反対)だと思う」というようなことを話していて、その感じ、ものすごくよく分かる!と思った。
たぶん、もともとがすごくネアカで、だからこそ自分の闇とか隠しておきたい部分がある、というのを自分の内だけに隠していられなくて、ほんじゃ自分のネクラの部分をこれでもかっていうくらい掘り起こしてみよう!と、そんなこんなしてるうちに、ほんとにネクラみたいな気分になってきて、それでちょっと本当に死にかけちゃったりするんだけど、それって真っ白なシーツのちょっとしたシミを掘りさげてるだけだから、けっきょくふりかえってみれば、じぶんはだいぶネアカだったということに気づくという・・・。それを経て、なぜ生きてるとか死ぬとか、もうそういうことってどうでもよくない?お腹空いたなとかあの娘カワイイな、とかもうそれでよくない?みたいな結論になるっていう思考のプロセス、めちゃめちゃよく分かる。

でもまぁ、この結論に至るまでにシミをとことん掘りさげるってのは、必要なプロセスなのだろう。

世の中のうつとか引きこもりとかいろんな不調とかって、このシミを見ている時間、シミにフォーカスする時間、そんな時間なのだと思う。

ちなみに、わたしももともと人生に対してバカと言っていいくらいのポジ野郎だと思う。
どの人生も、どの決断も、どの選択も、いやもう最高、問題ナシ!!!!みたいな、超ノーテンキで無責任なスタンスがベースにある。世界のどんな不幸や哀しみや残酷や悲惨を知っても、今この瞬間に生きてることに関してはLOVE LIFE♡とか本気で言えちゃうあたりが、なんだかなぁと思うけど(笑)まぁ、こればっかりはしかたない。

ほいで年末流行った「恋ダンス」、こないだYouTubeでちゃんと歌の方を聴いたのだけども”意味なんてない ただ暮らしがあるだけ”って素晴らしい歌詞だなと思った。
そもそも生きることに意味だとか使命だとかを求めはじめるから世の中物騒になるのだ。
星占いやってるくせに言っちゃうよ。だって大事なのはそこじゃない。
まぁ、そこに意味や使命を求めて生きるのもそれぞれの自由だしプロセスなんだけどもねぇ。


20170209 18:19

なんかもう、ほんとうにいまさらでお恥ずかしいかぎりなのですけど、ようやくヒトというものがどういうものなのか、分かってきた(納得できてきた)ような気がする。

ミドリムシとかゾウリムシとか、そういう単細胞生物の眩しいまでのシンプルさに憧れてしまうようなところがあるので、ヒトとして生きるというのはわたしにとっては過剰なまでにフクザツで、今思えばなんだかほんとにチンプンカンプンだったのである。

つまり、ヒトというのは・・・

「ひとりでいれば淋しいと思い
ごはんを食べなければハラをすかし
ハダカでは寒かったり暑かったりする」

そういうイキモノなのですね!!!

なぜか基準がヒマラヤの山奥でハダカで暮らしてる人、みたいなところがどこか無意識にあり、生きるうえで他者を必要とし食べものを必要とし衣服を必要とする、そういうことがわたしのなかでどうにも腑に落ちてなかったのである。どうしてもなくて困る、ということはないはずだと。

いや、でも、ここ日本だし!!2017年だし!!ミドリムシじゃないし!!

「ひとりでいれば淋しいと思い
ごはんを食べなければハラをすかし
ハダカでは寒かったり暑かったりする」

死ぬまでちゃんとそういう人間でありたいと、あらためて思う今日このごろです。

こんなときに思い出すのはいつもブラジルにいたときのこと。
その当時をふりかえった日記を掘り起こしてきたので、長いですがもしよかったら。
(5年も前のものなのでちょっと恥ずかしい)

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20120627

は~~~~~~~。
ひ~~~~~~~~。
ふ~~~~~~~~~。
へほ~~~~~~~~~っ


は~~~~~~、
いや~~~~、地球、すごいわ。
すんごいとこだわ。

こ~~~~~んなにもすごいとこだったなんて、
知らなかった。

2009年のブラジル行きの結末が、こんな風に落ちてくるなんて、ちっとも想像つかなかったよ!
う~ん。すごい。

なんかもう、感謝しかない。
時間をかけてしか分からないことってじつはすごく苦手なんだけど、でも、それがこんなに素敵なことだなんて初めて知った。

今の地球のあり方を、本当に、心から愛おしいと思う。
バカみたいだししょうもないし無駄もいっぱいだし時間なんて無視したいし、分離ってなに?って感じだし、もう文句はタラタラなんだけど、でも、そこで繰り広げられているドラマがこんなにもキラキラしていて愛おしいものなんだったら、みんな、好きなだけ好きなように生きたらいいよって思う。

生きるっていう、ただそれだけのことが、こんなにも美しいことだなんて!
それを目の当たりにすると、つい毎回感動しちゃう。

だから「執着はするな」とかヤボなことは言いたくない。
インド哲学も、たしかに生きる智慧の最高峰みたいなとこはあるんだけど、地球には「最高峰」でなくても、それぞれにすばらしい生きる智慧があって、私は今生でそれをずっと知りたいと思ってきたし、「最高峰」以外のやり方も愛したいと思い続けてたっていうことが分かった。

インド哲学がどういう意味で「最高峰」かっていうと(ここでいうインド哲学って、広義の意味で、レーネンさんもそうだし、いま主流になってるスピリチュアル的な考え方と源泉を同じくしているもの。)「苦しみから逃れる」という目的を達するための哲学としては「科学的」といっていいくらいの明快さと合理性があって、そういう意味でやっぱ「最高峰」だと思うの。
でも、人間には、「苦しみから逃れない」っていう選択肢もあって(その代表選手を私はブラジル人に見てるんだけど)、それを選んだ人たちにはその「最高峰」はまったく役に立たないんだよね。目的が違うから。「苦しいとか悲しいとか楽しいとか、もうそんなのにかまってらんないよ、とにかく、私は今、この瞬間、自分が感じてること、自分がしたいと思ってることをするから!!!結果なんか知らん!!」みたいな。だって、ブラジル人に「執着」について説くことほど野暮なことってないんだもの。
でも、彼らは彼らなりにハッピーに生きる智慧を生み出してて、瞬間のキラキラに命を懸けてて、しかもそれが、インド哲学的な考え方と、本当に深い、深いところではしっかりつながっていて、わたしはこのつながりを見つけたくて、信じていて、ああ、今に至る~~~るるる~~~
(もう、なんかややこしすぎて伝えることを放棄しだしてる・・・笑)

ややこしいので、具体的な出来事の方を話すと、
とにもかくにも、ブラジルでお世話になってたアーティスト夫妻の弟家族が日本に来てるというので、月曜日に会うことになった。
彼らとすごした時間というのはわたしの中ではまだ未消化な部分がたくさんあって、やることなすこと裏目に出る、みたいな、愛の交換をうまくできなかったことが最大のトラウマで、彼らのあり方を愛したいのに自分の傷の方が大きすぎて、愛せないことが苦しくてしょうがなかったというか。で、そんなままだったから、今回会うのもちょっと気が重いところがあって、しかもブラジルから帰るときにゴチャッとした流れでもらってきちゃったかなり立派な作品を弟家族に持って帰ってもらえるよう頼むっていうちょっとこれまたややこしい要件もあって。

で、気は重かったんだけど、会ってみたらさ、やっぱりあの、ブラジル人独特の、なんていうんだろう、M家独特ともいえるのかもしれないけど、やわらかくて、優しくて、奇跡みたいな愛の空気になるんだよね、その場が。ちょっとギクシャクしたところもやっぱりあるんだけど。
で、なごやかにお昼ごはんを食べて、どんなところに行ったとか行きたいとかそんな話をワイワイして、で、一段落したところで私の方の目的だった「作品を持って帰ってもらう」お願いをしたんだけど。で、まぁ、家族だから事情はすぐに察してくれて、(兄のややこしさは親族ならみんな理解している。にしてもM家は兄弟そろってあんなにできた奥さんをつかまえてるとこがまた奇跡)OKってことになって。
で、わりとスムーズにいったかと思いきや、やっぱその後でなににかわからないけど、弟の方が傷ついてるのがわかって、遠慮のない攻撃オーラが無言のまま発されていて。で、無言の攻撃オーラを久々に浴びて、「うわ~~~~これだ~~~~。これに私は本当に参ってたんだよなぁ~~~~(兄弟だけにすごいそっくり~~~~)」となつかしく思いだしていて。
で、そんだけ遠慮なく攻撃オーラ出しておきながら、口では何も言わないのね。で、たちが悪いのは自分でもそんなオーラが出ちゃってるなんて気づいてないっていう。苦笑
それだけ何かが嫌だったなら言ってくれよ!って思うんだけど絶対言わないの。そこが、アメリカや他のラテンアメリカの国との大きな違いだし、いた当時は、そこに一番傷ついてて。

で、「うわ~~やっぱきついな~~~~」と思ってたら、そのうちに(ブラジル人だから普段からスキンシップは絶やさないんだけど)娘に甘えてとにかくハグ、ハグ、ハグ、いちゃいちゃいちゃ、と始まって。でね、それ見てたら急にわかったの!
「わ~~そっか~~!この人たちはなんだか自分でもわかんないけど傷ついちゃったハートを、こうやってその都度癒してるんだ!だからわたしは相手が自分の行為によって受けてしまったかもしれない傷の心配までしなくていいんだ!彼らは彼らでちゃんと癒す術を持っているんだ!」って。

ああして、ブラジル人がいつも暇さえあればだれかれ構わずハグハグいちゃいちゃしてるのは、彼らが傷つきやすいからでもあり、傷つくようなできごとが頻発するからでもあり、だからこそ誰かを攻撃してもしょうがないっていうことも理解していて、でも自分の傷をそのままにすることもできないから、だれかを攻撃したり、ある意味瞑想するかわりに、ハグハグいちゃいちゃしてるんだっていう。

自分の中に神を見つけるのもいいけど、すぐとなりの人に神を見つけてもいいんじゃないっていうね。お互いが、お互いの神(マリア)になりあえばいい。

だから、生きる術としての「切り離し」をある意味ほんとうに実践していて。自分が傷つくのは、相手とは関係のないことだということを、まるで信仰のように持っている。だから、傷ついたと思ったら、瞬時にどんだけ攻撃オーラが出ちゃってても、その瞬間にもうハグハグして、めいっぱい甘えて、優しくしてもらって、なんとか次の瞬間から相手を愛そうと必死で。ああ、なんて愛すべき・・・

もうね、それが分かって、どれだけ安心したか。

やっぱ今になって気づくけどいつでも恐怖だったんだよなぁ。自分が生きてることが誰かを傷つけてるんじゃないかってことが。で、攻撃を受けることも。
だから、要はブラジルにいたときにその思い込みがものすごい勢いで現実化してたってことなんだけど。そういう意味で、ブラジルは本当に引き寄せと現実化がはんぱない場所だと思う。「ほどほど」ということがない。そんなの知らないで葛藤抱えたまんまポーンと飛び込んだなんて、ほんとおそろしいことしたよなぁ・・・

でも、こうして時を経て、恐れていたものをきちんと見ることができるようになって、そうしたらこんなにも愛すべき贈りものが届けられるなんて、なんて素敵なことなんだろう。
本当に、こんな結末になるなんて、
もう、ほんとうに、生きるということにはびっくりしっぱなし。

あ~~~もう、本当に、遠回りしたかいがあったなぁ。
「最高峰」にすっと行ってしまったほうが私にとってはずっとなじみがあるし、楽なのは分かってたんだけど、「最高峰」じゃない、人間が、人間らしさを保ちながら、普段の生活の中で、自分を抑圧しないで、どうやったらお互いをいたわりながら生きていけるのかってことを知りたかったんだと思う。瞬間にありったけの愛を込めて、めいっぱい執着して、裏切られて傷ついて、、そうやって生きる生き方を肯定したかったというか・・・。あれ?なんか演歌みたいだけど?笑

「結果なんか知らん!!」って、つまり最高に執着を手放している。笑

あ~~~あの、ブラジルのマジカルでエキセントリックな感じを、ぜんぜん伝えられてないのがものすごく残念!(そう考えると、ブラジルを小説にしたカレンはつくづくすごい。カレン・テイ・ヤマシタ『熱帯雨林の彼方へ』はとても素敵な小説です。)

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あああ、まだまだブラジル人への道は遠いけれども、彼らの愛すべき生き方はわたしにとって永遠の憧れ。





2017年2月8日水曜日

20170208


ペムチ浜の朝(2/7)







ニシ浜のゴージャスな夕陽(2/8)




2017年2月7日火曜日

【わたしとドナルド・トランプ】

えっと「わたしと◯◯」シリーズで、しばし文章を書いてみたいと思っています。
第一回目はただいま世界のお騒がせ?「トランプ大統領」。

トランプさんとわたしのあいだにもちろん個人的接点はありませんが、彼が大統領候補になりはじめたときから彼の名前を聞くたびにわたしの脳裏をよぎっていたのが「ラスベガスのトランプタワーのトイレってTOTOなんだよねぇ」ということ。笑

なんでそんなことを知ってるかというと、むかしTOTOの企業誌?をつくる編集のアルバイトをしていたことがあって、あるとき海外のホテルを特集する号でラスベガスのトランプタワーが取り上げられていたのだ。
記事にする前段階の情報収集とかリサーチとかそんなのをやっていたのだけど、そのときに初めてラスベガスやらトランプホテルやらのことをちゃんと知ったので「すんごいものが世界にはあるなぁ、しかしここで年がら年中遊んでる人たちも、日々TOTOのトイレのお世話になってるのね・・・」と、まったく関わることのなさそうな人種の人々に、妙な親近感を覚えたのであった。

なので、トランプさんが日本のメディアに登場しはじめて最初に持った感想は「あ、あのTOTOのトイレの!」というものでした。
トイレとかこだわる感じ、なんか分かる。

いやぁ、アメリカ、おもしろいですよね。
トランプさんの存在によって、だれが国のトップになるかというのは、けっきょくお面が変わるだけですよ、という公然のしかし隠された事実がうっかり漏れだしてしまっている。


ホワイトハウスは、さすがにTOTOじゃないかな。


20170207

野草にハマる、の巻




波照間きてから自炊が楽しい。今日はどの草(笑)食べようかなとか、サバ缶つかってなにできるかなとか。
島に意外に売店はたくさん(5軒)あって、とはいえ食材は限られている。
でも普段つかったことない食材とか島豆腐とかそんなのがちょっとあるだけでとっても楽しい。
きのうは近所のおばちゃんにお豆をもらったので豆ごはん炊いた。
島の商店ってことで思い出すのはキューバだけれども、あのときと比べればめちゃめちゃ豊か。キューバの商店の、暗くてガラ空きの棚のせつなさといったら・・・(配給制なので商店にはあまりモノがない)。
帰りにトランジットで寄ったバンクーバーのスーパーが、あまりに品ぞろえ豊富で(ふつうなんだけど)とてつもなく眩しくてクラクラしたのを覚えている。「リ、リンゴが大きい・・・そしてなんか艶めいている・・・!」と、スーパーに並ぶすべてがいちいち衝撃だったなぁ。
いまは、またすこし変わったのかな?
ちなみに今日のサンドイッチにはムラサキカタバミの葉と花をつかいました。名前などは事後確認です。笑

野草料理ってストイックなイメージがあったけれど、まえに大見でバカボンさんの野草摘み&食べる会に参加させてもらってから、野草料理ってめちゃめちゃメルヘン!と思うようになった。野草をつかうと食卓が手軽にメルヘンになりますヨ。


2017年2月4日土曜日


ひらかれた円環、そのつらなり
Drawing on sand^o^
28th Jun 2017
20170204 10:51







世界の豊かさを、

めいっぱいに取り込んで

めいっぱいに味わって

あ〜幸せ!っていいながら死んでいきたい

哀しいことはもうたくさん

苦しいことももうたくさん

あ〜もう、充分味わいましたよ

背中に羽根を生やしてね、

微笑みながらキャッキャキャッキャといきてゆくよ


ただしいか

とか

ただしくないか

とか

どうでもいいね

やっぱりもう

楽しいか

楽しくないか



ワタシとせかいへたくさんの愛をこめて

いきる



LOVE LIFE!!


♡♡
♡♡♡
♡♡


VIVA LA VIDA



2017年2月2日木曜日

20170202 20:10

やっぱり日記形式がいちばんしっくりくるな、ということでようやく新しい日記ページをつくった。その4。

自分のことを記録するくらいしかすることはないし、けっきょくそれで充分なのだ。
この世界で今という時を肉体をもって生きているということこそが、やっぱり最高にすっとんきょうでおもしろい。
教訓クサいことはもうしばらくよいわぁ・・・

ということで、しばし日々の記録をしていきたいと思います。

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今日は朝から北風びゅーびゅー寒い一日。
朝は7時くらいに起きて、さんぽへ。いつものサトウキビ畑をぬけて、30分くらいのつもりがおもいがけず長旅になり、1時間半くらいは歩いていたかも。

ライトボディの目覚め』(ナチュラル・スピリット、1998/この本、最近の自分の身体の変調を理解するのにすごい役に立ってる)に書いてあった瞑想のガイド?エネルギーワーク?を波照間にきてからためしてみているのだけど(自分自身のエネルギーフィールドを保つ&肉体に光を取り入れるのにすごくよい)、しばらくさんぽしてあんまり人目を気にしないですむ海岸あたりでしばしこのワークを。背後にヤギの視線を感じつつ、朝の光をいっぱいに吸い込む。

今回の波照間滞在は、あえて解体しつくしてなんの原則もなかったわたしの生活に、いちおうの秩序を取り戻すっていうのがひとつ大きな目的だったのだけれども、だいぶつかめてきた感じ。いい感じのリトリートになっております。

帰ってきて朝ごはん。
おかゆとみそ汁と梅干しとさんまの水煮。あとみかん半分。
みそ汁の具は、道ばたで摘んだハコベ。
我ながら自分のサバイバル能力の高さに笑える。笑

だって、一人分の野菜を買うってとっても非効率的なんだもの。
しかもここ波照間で。
というか、さんぽしてたらハコベが「よかったら食べてみて♡パワーあるわよ♡うふ♡」ってしてたんだもん!
ていうか、ハコベだとも知らなかったけど、ハコベがハコベだって教えてくれたんだもん!笑
ほんでググったら、やっぱりハコベで、ひとくち食べてたしかにこりゃ元気な葉っぱだ!と思ってお味噌汁の具にしたのでした。

それからというもの、道ばたの草が気になって気になってしかたがない。
苦みもあってパワフルなので、少量でよい感じも嬉しい。
そしてなぜかみなさん、都会育ちの野草初心者のわたしに名のってくれる・・・親切・・・

毒草を摘んじゃうといけないので、原則話しかけられた草だけにするつもりです。笑

たぶん、まえに大見でバカボンさんの野草摘みにうっすら参加してたのが意外に役に立っている。なんとなく、覚えているものだね!
あのときは、クローバーとかすみれとかツユクサとか、ちっこい子たちもそれぞれ味がちがったりしておもしろかった。

がぜんもっと知りたくなってきたぞ。

そしてやっぱりわたしは栽培よりも採取の方がぜったいに向いていると思う・・・。
なんせ、フレッシュなのがいいよね!

そのあとは、このブログをつくったり、ついにインスタのアカウントをとってみたり。
この波照間でパソコンとにらめっこする贅沢さよ。

昼は近くの売店で牛野菜炒め丼を。黒糖プリンとかおみやげ用のモチキビとかもちょっと買った。
夕方また少しさんぽに出て、シャワー浴びて夜ごはん。
け、健康的・・・。

いい感じでリズムができてきたのが嬉しいかぎりです。

今日はこんなところで^^




Hateruma Island, Japan
2nd Feb. 2017








Ishigaki Island, Japan
Dec. 2016

(追記

☆☆☆☆

ちなみに「最奥の惨めで貧相な子」とは、人生のあらゆる過程で果たされなかった想い、叶わなかった願望、報われなかった気持ち、そういう平行現実に置き去りにして来てしまった想いを一身に担っている存在、のように思った。本当はこうしたかったけどできなかった・・・生きていればそんなことは日常茶飯事だけど、そんな想いを一身に引き受けてくれている健気な存在がいたのだね・・・。そんなワタシには、ほんとうにありがとうしかないな〜と思う。

ちなみに、この数日で読んでた本の中に『バシャール スドウゲンキ』というたまたまブックオフで見つけた本があって、バシャールはいいけどちょいとテンション高すぎるし須藤元気もマッチョで苦手だしなんでこの本を手に取るのかなー?と自分でも謎だったのだけど、バシャールと須藤元気が対話することによって、須藤さんのエゴがめちゃめちゃ分かりやすいカタチで表出していて、それが自分のエゴや欲を見る上でとても役に立った。愛を前にして賢さをアピールしたがったり、ちょっとふざけてちゃかしてみたり。やっぱり人間って圧倒的な愛というのを前にすると、それを受け取るのを怖がるものなのだな〜、とすごーくよく分かった読み物でした。





20170201 6:25

「欲」について知りたかった。

欲とはなんなのか、欲によって人は苦しむのか?、じゃあ欲ってそもそもなんであるの?

そういうことを体験的に知りたくて、この数年の間、自分自身の欲、食欲、物欲、性欲、睡眠欲、名誉欲、支配欲・・・そういうものをなんとか掘り起こし掘り起こし、それらが身勝手に振る舞いはじめるまで野放しにしていたのだけれども、、けっきょくそれでよくわかったのは、「欲は欲によっては埋められない」ということ。

なんか、当たり前といえば当たり前の結論なのだけども、欲というもののめんどくささを先に先に察知して、ほとんど無意識レベルで制御しながら生きてきてしまった20数年だったので、まずは巧妙に隠蔽された欲を自分のなかから掘り当てて「欲」というものとまじまじと顔を突き合わせ対面する作業からはじめる必要があって、それはなかなか時間のかかることだった。

そもそもなんでそんなことをはじめようと思ったかといえば、あるとき自分のなかのごまかしがガラガラと崩壊して、深刻ではないけれど自分のなかになにかしらの依存症のような質の片鱗があることに気づいてしまったことと、なにかしら満たされていない感情が自分のなかに眠っているのをなにかにつけて見せられることがあって、それが本格的に向き合いはじめたきっかけ。

あれが欲しいとかこれが欲しいとか
あれがスキとかこれがキライとか

そういう感覚がほとんどゼロ(顕在意識では)のところから、いや、そんなことはない、きっとあるはずだ、と、えっちらおっちら一生懸命そういう感覚を発掘して、ようやくようやくつかみかけてきて、ではそれらをひとつひとつ満たしてあげましょうかとするけれども・・・けっきょくそんなこんなしたところで「もっともっと」の無限ループ。

そいで、よ〜〜〜く分かったのは、さっきの結論「欲は欲によっては埋められない」ということ。
「欲」そのものが悪いのではなくて、「欲」を意識した上で「愛」で満たしてやること。
「欲」というのはけっきょく「愛」の欠乏状態によって生じるものなのだ。
自分の奥底に眠る「もっとくれもっとくれ」とせがんでいる惨めで貧相な自分によって欲は生成される。
それがいろんな欲となって意識に上がってくるのだけれども、けっきょくその最奥の自分というのは、たんに「愛」がほしいだけなのだ。
それが形を変えて、あれが食べたいこれが欲しいあれがないと嫌だ、なんなら○○反対!とか、人類を救う!とか、そういうふうに表出してくる。
本当は愛がほしいだけだったのにね。

「欲」そのものになってみることではじめて、愛からもっとも離れた真っ暗な場所にある「欲」の根っこのようなものに触れることができる。

同じことをしていても、愛が枯渇した状態ですることと、愛で満タンに満たしてからすることでは、雲泥の差だ。

「インナーチャイルド」という言い方があるけれども、よく言ったもので、やっぱり「子ども」というのは自分自身の満たせなかった想いや欲求が外側に「ポイっ」と生まれ出て可視化されたものなのだな、とよく思う。親が自分自身の欲求に気づくまで、子どもはこれでもかこれでもかと見せてくれる。親子、とはとくにそういう契約のもと来ていることが多いと思う。


さて、この1月の末に、うすぼんやりと影が見えるばかりでなかなか実体にたどり着けなかったこの「最奥の惨めで貧相な自分」にようやくようやく手が届きました。ここに行き着くまで、本当にたくさんのプロセスがあって、なんなら10年くらいかかったけど、たくさんの人が力をかしてくれました。おかげさまで「欲」というものの本質がだいぶよく分かるようになりました。どうもありがとうございます^^


※ちなみに、最終的に「欲」についてとても理解が深まったのは、先日まで泊まっていた宿が朝夕2食つきの上げ膳据え膳状態でありがたいかぎりだったのだけれども、胃腸がつかれていたので、きのうからプチ断食していたのが功を奏して「食欲」というものを通じて、欲によってエネルギーを得ようとするときと愛(光)からエネルギーを得るときとの根本的なちがいを明確につかめたことが大きい。